Archive for the ‘我嘲う故に我あり’ Category

こどもの頃、鏡を床に置いて覗き込んだり、表や森のなかで地面に置いてみた事がある。日常とは違う異次元に迷い込んだ気がした

ものだ。古池や古井戸を覗くのも奇妙な不安感に襲われる。底のほうの暗い水面から私を見つめる者がいる。たしかに自分の顔が写

っているのだが異界から視られているような、苛立たしいというか恐怖さへ憶えるのだ。だから古井戸にまつわる恐怖譚や小泉八雲

の「茶碗の中」に言い知れぬ不気味さを感じるのだろう。いや、それは偽りだらけの自我と人生の自分を見据えるもう一人の自分な

のだろうか?私とは脳の情報である。脳の情報の現れが私であるなら、じゃ、私という脳は、自分自身を理解しているのだろうか?

脳が総ての情報を含んでいるという前提に立てば、脳は私を理解しているのだろうか?ああ、ややこしくなって来た。無限連鎖に陥

ってまるで合わせ鏡の奥を覗いているようだ。

我思う、故に我あり・ego cogito, ergo sum。デカルトの有名な言葉だ。皮肉屋のA・ビアスは「我思うと我思う、故に我ありと我思う」

と言った。いや唯物論者なら「我ある、故に我思うと」言うのだろうか。スピノザは「我は思惟しつつ存在する・Ego sum cogitans.」

と。小難しく言うなら「観念に対応する実在とはいかなるものか」となるのであろう。私が普段見て感じる実在とは本当にあるのだろ

うか?……すべては心に映る幻影、または脳の中で作り上げた虚像なのではないか。私が見ているものと他人が見ているものは果たして

同じものだろうか?….そう、夢を見ている時は明らかに実在であるのに、目覚めれば幻覚である。(といってフロイト心理学、あれ疑

似科学じゃ無いの?何がエディプス・コンプレックスだ。何が抑圧された性だ。勝手なたわごとじゃないか!)。

と、いうことは「心」というものだけがあり、実在とは幻想であり客観的な存在ではない。

….これは唯識論だ。東洋の知恵は数千年ほど前からそれを探求してきた。唯識論によると個人にとってのあらゆる存在が、ただ、八種

類の識によって成り立ち、五種の感覚、眼識・視覚、耳識・聴覚、鼻識・嗅覚、舌識・味覚、身識・触覚、意識、2層の無意識である

未那識、その根本である阿頼那識と説く。

あらゆる諸存在が個人的の認識でしかないのならば、それら諸存在は主観的な存在であり客観的な存在ではない。それら諸存在は無常

であり、即ち「空」であり表彰・イメージに過ぎない。色即是空、空即是色だ。この世の色(存在・物質)は、ただ心的作用のみで成

り立っていると…「意識が諸存在を規定する」とするのだ。でも意識を作り出しているのは私だろう。それは還元的には原子 → 素粒子

→ クォークである。物質が私と心を作り出しているのだが。…..「空」ね。でも旧約聖書で有名なヴァニタス・ヴァニタートゥム・

Vanitas vanitatum omnia vanitas.「空は空なるかな、すべては空しい」の空ではない。これは死に至る人生の「空」であり、唯識の

「空」は、宇宙の摂理の根本の「空」を説く。もっと理性的で客観視した「空」である。…そうして現代科学は量子論を生み出した。

真空とは「何もない」状態ではなく、常に電子と陽電子の仮想粒子が対生成と対生滅を起こしていると…。真空はエネルギーに充ち満

ちているのだと。まあ、ディラックの海やヒッグスの場理論までというと私にはとても説明できないが…。だからといって「科学と唯

」は同じであると、こんな本が多いが、これは疑似科学だし、ニューサイエンスやスピリチャルになってしまう。

●「フロイト先生の嘘」ロルフ・デーゲン著/赤根 洋子:訳・文春文庫…よくぞ言ってくれました。どっちでもいい学説とたわごとの

 夢分析、いまだにその信望者の偉い先生が疑似科学を垂れ流している….。痛快な本です(痴の欺瞞:アラン・ソーカル、ジャン・ブリ

 クモン著: 岩波書店。これも痛快極まる)。

●「唯識入門講座」横山紘一:著/大法輪閣 ●「わが心の構造」(唯識三十頌 に学ぶ) 横山紘一:著/ 春秋社…非常に分かりやすい。

「心の仕組み」著者:スティーヴン・ピンカー /山下 篤子 訳 : NHK出版….進化的適応の結果として人間は心という器官システムを

 持った。よって人間の心の思考は、自らの認知的能力の働きについての本質を認知できない….。

「豊穣の海」三島由紀夫/大乗仏教の唯識を根底に緻密華麗な文章で輪廻転生を描く。「春の雪」「奔馬」「暁の寺」「天人五衰」の

 四刊に三島美学が….天人とて五衰の腐臭が生じ…三島も高齢化が恐かったのだ。だから….。

 

 

 

ここにいるのは誰だ? 俺だ! 思った瞬間に忘れてしまうのだが、ああ僕もこんな歳になった。時の流れののなかでいまという刹那が

次々と過ぎて行く….。なぜここにいるのだ?考えて見れば不思議なことだ。目の前にPCがあり、家族があり、友人があり、社会があ

り、世界がある。そして記憶という過去もある。僕は無神論者だし神秘主義者じゃない。….だから偶然そうなったとしか言いようが

ない。まあ、粗視的に考えて私とはこのようなもので成り立っている。….

1. マクロ宇宙/量子的ゆらぎ・宇宙誕生・ビッグバン → インフレーション → 4つの力 → 素粒子 → 物質 → 銀河団 → 銀河 → 太陽系

→ 地球 … 開闢以来137憶年後のいまの世界。

2. ミクロコスモス/物質 → 分子 → 原子 → 素粒子 → クオーク →超弦理論?…. 量子物理学の世界。

3. 進化/46億年前・地球誕生 → 原初生命 → カンブリア期や白亜紀 → 哺乳類 → アウストラピテクス → ホモサピエンス → 10万年前

出アフリカ記 → 社会的人間 → 個人としての自覚の世界。

4. わたし/受精 → DNA → 誕生 → 成長 → 60兆個の細胞 → 筋肉・臓器・脳 → 教育・環境・経験・学 ….. アイデンティティ・心理

世界。 わたしが観察し認識するから宇宙がある? 宇宙あまりにも人間に好都合にできている? 人間原理? いや偶然だ。

つまり偶然の産物である「私」が宇宙や物理セオリーや進化や自分を認識している。そして物質でできた私がそれらを知り不思議が

っている。量子学的なクオークでできた物質である私が、それらを理解しようとする心理。これって何だ。たかが地球上で太陽の周

りを70〜80回ほど回転するだけの時間。それが人生であり、生きているってことはそれだけのことか!たまたまの「偶然」なのだ。

いやいや結局は膨大だ背景があり、社会的には同時代の皆さんに有形無形で「生かされている」わけだ。すべてのお世話になってね。

感謝ですね。喜びも悲しみも逝く年月、日は昇り陽は沈む。「天、空にしろしめす。なべて世はこともなし。」

分かったようなことを言っちゃって。お恥ずかしい限りです。

かって60年代後半から80年代かけてニューエイジ・サイエンス運動というのが流行した。A・ケストラー「ホロン革命」、K・ウイル

バー「意識のスペクトル」、E・ヤンツ「自己組織化する宇宙」、F・カプラ「タオ自然学」……。ガイヤ、トランスパーソナル、パラ

ダイム、散逸構造 …. ぼくも夢中になって読みあさったのだが「?」というのも沢山あった。ぼくはどうも宗教色や超常現象期待派、

心理学、東洋的瞑想、アカーシャ・フィールド、悟り、ゼロポイント・エネルギー、ホメオパシー、100匹目の猿などの?話になると

鼻白んでしまうのだ。最初から疑似科学に浸った人たちのはいいのだ。だって笑ってしまえるからね。ところが著名人でこういう人

たちは始末におえないものだね。心理学とか脳科学のように掴みどころのない分野に特に多いのだ。TVや新書なんかにタレント学者

がよく出てくるでしょう。同じネタをホメオパシーみたいに薄めて々….まさに「柳の下に100匹目の猿」だね。昔ファンだったあの

「アウトサイダー」のコリン・ウィルソンだってあっちの人になっちゃった。どっかの国では「知の巨人?」だってサ。フーン!?

この辺の曖昧なグレイゾーンでスタンスがはっきり変わるのですね。神秘主義者とあくまで科学的に解明しようとする人たちと….。

ぼくは神秘主義は興味津々、とっても不思議な空想に入れるから面白いけれどきっちりと一線を引きたいね。まあご勝手にと…。

「心脳問題」「意識とは?」うーん!?分からん。…….ところでホログラムって不思議ですよね。

ホログラフィーは物体から発せられた情報を含む物体光と参照光を感光媒体上で重なるように照射する。2つの光が干渉しあい干渉

縞を生る。この干渉縞の明暗パターンが縞模様に感光される。これがホログラムで物体光に含まれた情報を記憶しいてるのだ。ホロ

グラムの縞模様は非常に細く1000 分の1ミリ以下だ。そこに参照光を照射するとホログラムによって光が回折されて、元の物体光と

等価な光が発生、 回折光は元の物体光の情報をすべて含み、立体像表示がされるのだ。そしてだよ、その縞模様の一部分だけを切り

取って再生さすと、何と!画像は不鮮明にはなるが全体が投影されるのだ。部分に全体が含まれる、ン。ホロンの概念じゃないか。

そういえばぼくの身体の60兆個の細胞ね。 その一つづつに同じDNA情報が含まれているなんて….。

そしてダ!ぼくたちの脳はこのホログラムの形で記憶という過去の事象が保存されているのではないか?….という仮設がある。

意識とはこの隠された「本質」のホログラムの一部であり本質とのシンパシーで生まれるのだと….。確かに意識とは無意識に浮かぶ

一部でしかないし、D・ボームは「開示された秩序」のエネルギー(情報)の奥に潜む、この「織り込まれた秩序」のエネルギーこ

そ、現実(リアリティ)の本質であると主張する。……プラトン主義者だね。そしてだ、量子力学的思考によると、存在の不確定性

である。あらゆる実体は客観的に独立して存在しているのではなく非実体的な無数の波動によって作られている。とこうなるのだ。

そして思考を拡大すると宇宙は巨大なホログラムではないか?そのホログラムに、宇宙の全時空に関する情報がすべて含まれている。

ビッグバン、いやそれ以前の量子的ゆらぎからまりから遥かな未来までのすべての情報だ。それが、脳を含めた宇宙のあらゆる部分

にあらかじめ織り込まれているのだと。ボームによれば、エネルギー(情報)と意識はイコールなのだ。意識はエネルギー(情報)

になって現れる大脳生理学者であるカール・プリブラムによると「われわれの脳は実存を作り出すが、それは別の次元時間・空間

を超越たパターン化された第一次的な実在領界からの、振動数を解釈することによってなされる。脳は、ホログラフィック(完全写

像法的)な宇宙を解釈するホログラム(完全写像記録)である」と。ケン・ウイルバーも「脳における情報はホログラムとして分布

しているといえる」とね。まあクオリア問題もホログラム投射なのだろうか。……..でもなぜリンゴは赤いんだ?

「世の中を 何に例えん 水鳥の. 嘴振る露に 宿る月影」道元禅師  

               「この世ばはわれ思う故われ在りき去るる後にも月やあるらん」詠み人知らず

移り行く世の中、その中で苦悶する人間、常なるものは何も無く露のようにはかなくいものである。はかない露命の中にも月の光が

映っている。いわば全宇宙が露のなかに凝縮されたかのように。

そこでだ。私が見ていないときに月はあるのか。あったりまえじゃん!月は昔からあるに決まっている。….本当にそうだろうか?

量子力学によると、われわれが常識的に信じてきた自然像と古典物理学とは非常に違った形相を見せる。

いったい「実在」とは何なのだ。

1)我々の外に我々とは別に客観という独立したものがある。

2)そのものは常に決まった属性を持っている。

3)それを我々は認識することができる。

しかし2)は量子力学では否定される。不確定性関係では粒子の位置を測定すれば運動量は不確定になる。現存在と現象の背後

にはそれを統一する「本質」が存在し、それは複素数を使ってしか記述できない。「空にかかる月は人が見ていなくても存在するの

か? マクロの物体は厳密には近似値でしか存在しない。近似でしかありえない物質は量子力学の性質を示すはずだ。 

宇宙、世の中は量子力学の数学という形而上学的記述でしか現せないのだろうか。「それが客観的存在性と認識可能性を持つ」

物質ならば必ず運動性を持つ。物質がなければ運動はなく運動しない物質はない。「本質の運動」すなわち波動関数の時間的変

化か?これは難しい問題だ。 ジョン・ホィーラーは、「どんな素粒子の現象も人が観察してこそ初めて本物の現象になる」と述べた。

デビット・マーミンは、それをこう言い換えた。「誰も見ていないなら、そこに月なんて存在しない」と。 アインシュタインは、

インドの詩人・タゴールに会ったときにこう聞いた。「私が見ていないとき、月は存在しないのですか?」「その通りです」と

タゴールは答えた。月について、また存在するという時「その事実があったという信念が、それぞれの人の頭の中に存在する」と

いうことになるのではないのか。 「誰もいない森の中で木が倒れたとき、音はしたのかしなかったのか」というのと同じだ。

過去もそうだ。過去はどこかに存在するわけではなくて、記憶の形でしかそれぞれの頭の中にあるだけだ。 ぼくがこの世を去っ

たら見る事も観察することもできないわけだから「存在」しないのだ。……..「認識」とは「実在」とは何なんだろう。

その「本質」がいかに奇妙なもので受け入れ難くとも、その現象を生じるのが量子力学である。…..月は本当にあるのだろ

うか。 ●「量子力学の反乱」町田茂/学習研究社 ●「量子力学入門」並木美喜雄/岩波新書 ●「0と1から意識は生まれるか」

橋本淳一郎/早川書房 ●「量子力学の解釈問題」コリン・ブルース:和田純夫・訳/早川書房、他を参考にさせてもらいました。

 

私にとってわからないこと、それはなぜわれわれが世界を認識できるかということだ」A・アインシュタイン

悠久の宇宙の始まりとは何だったのだろうか?時間も空間も存在しない”無”の状態でもミクロの世界を支配する量子論では”ゆらぎ”が

あり、そのゆらぎから宇宙は生まれたという。現にわたしがここにいて宇宙を見ているのもCOSMIC COINCIDENCES「偶然の一致」

なのか?それとももっと深遠なわけがあるのか….。約137億年前にビッグバンによって誕生し、インフレーションを起しマクロの宇宙

になったというが。現在の観測可能な広がりは半径約14ギガパーセク(465億光年・10の28乗cm)であると。そして最小のプランク長

さは10のマイナス33乗と…..。シェルドン・グラショウ教授は、電磁気と弱い力の相互作用の統一理論を提唱し、素粒子と宇宙の全体

構造を、古代神話の「ウロボロスの蛇」になぞらえた。物質のマクロ極限である宇宙の開闢を支配しているのは、逆に物質のミクロの

極限の法則なのであると。……ウーン、そう言われるとそうかもね……。ぼくは ”宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は

宇宙を観測し得ないからだ”。という「人間原理的宇宙論」は与しないが、それじゃ「神の一撃で誕生した」といのはもっと縁遠い。

「神は我らの宇宙を創造する前に何をされていたのか?」、聖アウグスチヌスは「何もされてなかったのだ。」と答えたというが….。

たまたまぼくがここにいる。そして宇宙を見ている。これが単なる「偶然の一致」なんだろうか?……そうに決まっているサ。

でも不思議だ。137億年後の今現在、せいぜい70〜80年この世に存在し、ミクロの物質でできたぼくがマクロの宇宙を見ている。

そして、そしてだよ。たかが1400ccほどの脳細胞が考えているなんて….。この堂々巡り、自分の尻尾を飲み込むウロボロスの蛇だね。

知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。鴨長明も方丈記で語っていますね。

毎日、朝から晩までPCにへばりついていると、オイオイ、現実って何だ?…と詰まらないことを考えてしまう。こんなのデータだけ

じゃないか!ということはこんなもの「存在の耐えられない軽さ」じゃないか。…いや現に見ているじゃないか、触っているじゃな

いか、ここにあるじゃないか!ン!あるよね。でも見るというのは電磁輻射の可視光線という範囲のスペクトルだし、聞こえるとい

うことは鼓膜にかかる空気の圧力だし、匂いは鼻の粘膜による空気の化学分析で、味は舌に乗った物質の化学組成じゃないか。

分かっているよ、クオリアとか愛とか情とか歴史とか人生とかサ…..。人間はそれ以上のものだって言いたいんダロ?…

じゃ実在(リアリティ)って何だ?….ぼくたちは近似値までは迫れるけれど、真の姿を捕えることが出来るのかね?……完璧に理解

できたと思っても、それは君の脳内の微弱電流の作用と化学変化、ニューロンやシナプスの作用なんだろう?…..ぼくたちの身体は

タンパク質や水、それは炭素や水素などの原子で、陽子と中性子と電子でできていて、それはクオークとグルーオンで、いや超弦理

論という弦の震えで、そしてE=mc2乗、すなわち物質とはすべて光だ。….と言われてもね。

本当に宇宙の真理があって、ぼくたちその影絵とか一部をかいま見ているのだろうか? 二千年以上前の人間も同じ事を考えていた。

プラトン先生、実在って何だ? もしかしたら氷河期の洞窟でご先祖さんたちも、なぜマンモスがいるんだ? 俺とは何だ?…と。

ウーン、この季節なら生ジョッキを傾ける最初の一口、たまらんね。喉と身体に実在感があふれますね。

宿酔いである。頭が重い。できれば脳を氷水でチャポチャポ洗いたい気分だ。それとも強力なウィルスバスターでバグやスパムを消せ

ばスッキリするだろーなー。と、集中できない自分を呪っている。そうだ!新しいOSに入れ替えよう! ン、アプリケーションもつい

でにバージョンアップだ! こんなことを考えるだけでいかに機能が低下しているかが分かる。昨夜だってバージョンアップするために

アルコールで洗浄したのに…。後悔と無力感と自虐と情けない自分を嘲笑する。まあ少しは…無理もないか!と自己憐憫もある。

これが甘い!もっと厳しく行かんかい!何年生きとんのじゃー!学ばん奴は大成せんぞー!…分かってまんがな。怒らんといて。

しかし、DNAのOSはしょうがないとして初期化したら別人になれるのだろうか? 誰でも別人になって違う人生を夢見るじゃないか。

超人になりたいと思っているじゃないか。だから仮面ライダーみたいに変身!…その点女性はいいね。ヘヤーを変えたり化粧(化けて装

う)したり、高価な宝石つけたり新しいドレスを着たり(日本女性のファッション係数がGDPに占める割合は世界一じゃないか?)…。

その点男はつらいよ。超人願望ね、ツアラトゥストラはかく語った。「大いなる正午だ!永劫回帰だ!」…スミマセン、大いなる午前様

で永劫に学ばなくて。「悠々たるかな宇宙、遼々たるや歴史、おおホレーショよこの天地の間にはおまえのおよびもつかぬことが数多く

あるのだ!」人生不可解なり。お酒を飲めば大なる悲観は、大なる楽観に変わるのですね。さて、今夜はどこに行こうかな。

人間は「自分で自分を騙す」。楽観という夢を見たり、一瞬にして悲観に落ち入る事もある。どうもヒトの脳の前頭前皮質は、

複雑な認知行動、成果予測、目標、行動に基づく期待、社会的行動のコントロール、そして人格の発現に関わっているらしい。

だから「楽観と悲観」は未来を洞察するから生まれる。…不安の概念、死に至る病、考えてしまうんだね。

また歳を重ねると残された時間や自分の無能力感、不条理な人生を思うとき鬱になるのかもしれない。

鬱の時代である。これからの生き方と日本はどうなってしまうのでしょう?という会話をよく耳にする。日本には何でもある。

ないのは希望だけだ!と。格差社会、高齢化、不況、失業、高自殺者率…。なんともやりきれない鬱陶しい気分と自信喪失。

バブル崩壊から20年、明日が見えない日が続く。神戸では大震災もあった。高齢化により日本の凋落が始まったというが、別に

世界第二位の経済大国でなくってもいいし、そんなことを誇る必要もない。十倍もの人口がある中国やインドがGDPも大きくな

るのは当たり前だ。単純に十倍も飯を食うんだよ。かって日本がイギリス、フランス、ドイツを追い越した頃、ヨーロッパの国

々は日本をどう感じていたのだろうか。……あれほど期待した政権交代も迷走と失望だけであるし、マスコミというTV、映画、

出版、新聞などの質の劣化は進んでいるし、政治家の醜悪な媚態は眼を被いたくなる。

その点、インターネットの方がチョイスするのは自分だからはるかにクールに見れますね。

ああ、何とかしてくれ!という叫び声が聞こえる。プロザックなど向精神薬、それとも酒でも飲まなければやっていけない時代

なのか? それとも偽薬プラシーボでも調合してもらうしかないのだろうか。(placebo:ラテン語で「私を喜ばせる」は、本物

の薬に見えて効く成分は入っていない偽物の薬の事で、二重盲検法による医師(観察者)からも患者からも不明にして行う方法

で投与しその効果を探る)。これは病気より人間を対象とする心理学、社会科学的意味のほうが大きいように思われる。

演歌の歌詞で「だまし続けて欲しかった…」なんて、大本営発表でもいい希望(まれなのぞみ)を信じたいんですね。人間は。

ご利益宗教、怪しげなサプリメント、磁気ネックレス、ヒーラー、携帯依存の友達ゴッコ…..。

何でもいい、自分を騙す「メランコリーの妙薬」が欲しいんですよ。そして人間そのものは数千年変わっていないんですね。

ギリシャ神話のパンドラの話はほんとうに皮肉だ。開いてはいけない箱を好奇心に駆られて開くと、あらゆる悪霊や災いが吹き

出した。慌てて蓋を閉じると中には「希望」だけが残った、と。

桜も散った。ドッペルゲンガーじゃないが自分で自分を見ていることがある。青二才でもあるまいが自分とは何かと考えてしまう。

果たして「心」というものがあるのだろうか。美意識、洞察、愛、憐憫、判断…これらは計算不可能なものである。この水とタン

パク質のジェリーみたいな脳のどこかに「心」が存在しているのだろうか。

私とは何だ?…親から受け継いだDNAと肉体をベースとして、私とは記憶である。記憶喪失になれば自分が自分で無くなるのだか

ら当然だろう。じゃ記憶とは何か?….脳のニューロンとシナプスで化学物質のキャッチャーが増え固定されると記憶になる。

また海馬では経験は核感覚器官で感知された電気信号を一時的に記憶すると説明してくれる。じゃ物質の化学変化なのか?

じゃ、考えるとは、意識とは、クオリアって何だ?

面白い仮説がある。数学者・数理物理学者ロジャー・ペンローズの「量子脳」だ。要は量子論における「重ね合わせ」から「客観的

な波動関数の収縮」(objective reduction・OR)から意識が生じると。彼は脳のニューロンにあるマイクロチューブルにおいて、

意識を支えるのに要求されるような性質を持った「OR」が起っているいると提案している。マイクロチューブルはチューブリン

(微小管)と呼ばれるタンパク質のサブユニットから構成され、チューブリンのなかで量子力学的な重ね合わせ状態が出現し、その

ままコヒーレント(波動関数の位相が揃った)な状態に保たれる。ある質量・時間・エネルギーの「しきい値」に達するまで、他の

チューブリンの波動関数を巻き込んでいく。こうしたプロセスの結果、システムが「しきい値」に到達したときに、波動関数の自己

収縮「OR」が起こる。コヒーレントな重ね合わせ状態を「前意識的プロセス(計算状態)」、波動関数の収縮を「一つの離散的な意

識的イベント」と見なし、このような「OR」が次々に起る事によって「意識の流れ」が生ずるのである。

….ほんとうにそうなのだろうか、ぼくの細胞は原子で構成され、ある秩序を持ってぼくがある。極端な「汎精神主義」をとった場合、

意識はすべての物質が持つ性質なのだろうか。それとも物質も心もマクロの観測するものがいるから存在するというのだろうか。

紛れも無く物質でできたぼく、「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」と言うが、花もぼくの身体も日々代謝し変化し、動的

平衡にある流れが生命であり、ぼくなのだろうか。 …….心から心にものを思わせて身を苦しむるわが身なりけり 西行

●「心は量子で語れるか」ロジャー・ペンローズ 中村和幸/訳 講談社:他にも「皇帝の新しい心」「心の影」林一/訳 みすず書房

●「ペンローズの〈量子脳〉理論」ロジャー・ペンローズ 竹内薫・茂木健一郎/訳・解説 ちくま学芸文庫

ああ、アイディアが欲しい!痛烈な飢餓感に襲われている。オレってなんて頭が悪いんだ、おい、考えろよ。… 索漠たる荒野である。

乾ききった雑巾である。出ない物は出ないのである。幾夜悶々と悶えても無い物は無いのである。鬱を通り越した虚無である。

円形脱毛症にもなった。酒を飲み馬鹿話に興じて見せるが一向に埒は開かない。顔では笑っているが、これは仮面である。

考え事をしていて、スーパーでレジを通らずに気がつけば籠を下げたまま表通りで気がついたこともある。まるで認知症状である。

返しに行くときの入り口やレジの恥ずかしさと恐い事(ここまで挙動に無意識なら警備員も気がつかない)。…. 歳だろうか?

アイディアを生業として今日まで生きてきた。それもノーベル賞でも狙おうとするほどの大義でもあればいいよ。クリエイティヴと

言えるほどの創造的な仕事ならいいよ。たかが企業の提灯持ちの企画やデザインの世界じゃないか……。

アイディアってなんだ?….ムム、古くはギリシャのプラトン哲学の idea から始まり「見る」という意味に由来している。

それは肉眼に見える形ではなく、「心の目」によって洞察される純粋な形、つまり「ものごとの真の姿や原型・理念」だと。

ふーん、そこまで難しく考えなくて、シャイニング、閃き、発想、着想、思いつきでいいんだよ(スターウォーズではフォースと言

っていたね。滝田ゆうの漫画では電球の光るフキダシがあったね)。…..と、真剣にわが身を削って考えているんだよ。

酒をきこしめしたらバンバン、アイディアが飛び出して、これだ!メモしとこ。と翌朝見直したら、嗚呼!通俗・凡庸、わが身を嘆く

ね。所詮、平々凡々のわが頭よ、願わくば….。結局、締切間際になって無理矢理絞り出した妥協なんだが、答えがどこからともなく

やって来ることもある。….だから鬱になりお酒を飲むんだ。これって自己弁護? 大袈裟に言えば魂の告白? 

チャンチャラおかしいー、カッコつけんじゃねーよ。分かっているさ、自分でやるっきゃないんだよね。……レミゼラブルだね。