Archive for the ‘Design’ Category
こんな凄い人がいた。宮武外骨(慶応3年1867〜昭和30年1955)、ジャーナリストにして世相風俗研究家、反骨とパロディに徹し
面白可笑しく世相を批判した。あのマイケル・ムーアだって真っ青になる人だ。あの明治時代にここまでやるか!
とにかく「頓智研法発布式」として「第一條、大頓知協会ハ讃岐平民ノ外骨之ヲ統括ス」と大日本国憲法発布を皮肉って不敬罪に
問われ入獄3年8ヶ月。その生涯で入獄は4回、罰金・発禁などは29回に及んだ。
その「頓智協会」設立のお知らせも効いている。「美玉も琢磨せざれば光輝に発せず私剣も砥礪せざれば断割に適せず(古い々ゝ)、
本会は一名活機転用学校と称い、専ら時に応じ変に臨んで利用すべき頓智を発育養成するを主義とし、広く会員を全国に募集す。
余の名前は「宮武外骨」である。…ついては、この主旨を十全に理解し、今後の頓智の縦横無尽なる活躍に期待せし紳士諸君である
ならば参加しない手はないであろう。余の今後の活動に賛同するものは余の居宅にその旨送りたし」。まさに空前絶後の宣言ですね。
そして「滑稽新聞」を創刊し記事の大半を自ら書いた。時事批評から下世話な世相まで、毒を仕込んだパロディー精神、さらに挿絵
もなかなかである。…怒り脳天に達し頭がカチ割れたイラストなんか、それはもう! 当局が「滑稽新聞」に対して発行禁止命令を
出せば、外骨は先んじて173号を以て「自殺号」として廃刊。しかし翌月には「大阪滑稽新聞」を出すなど何とも奮っている。
傑作なのは「真の写真」として自分の顔に墨を塗り紙に推し当てる顔拓。娘が鏡で化粧、映っているのは骸骨。鋏が男女の顔で接吻、
タイトルが「切っても切れない仲」。アールヌーヴォーはハイカラ繪にあらず日本古代模様の化物。….とか、当時の写真加工まであ
ったり広告まで楽しめる。彼はアートディレクターだ。デザイナーだ。クリエィターだ。
大正5年(1916)にスコブル面白くて、スコブルためになると、月刊誌「スコブル」を創刊し。大正6年には衆議院選挙に再び選挙違
反告発を目的として立候補。投票日前に「落選報告演説會」の告知を出したり、落選後予定どおり開催した。…まあ何と。
そのアイディア、ウィット、遊び精神、パロディ、斬新、奇天烈、モダン、ナンセンス、行動…。とても常人には真似できない生き
方だが、現代の企画・デザイナーを遥に越えている。とにかく凄い、単なる奇人ではなく真のヴィジュアリストと僕は尊敬している。
外骨さん、大好きだ。
●「宮武外骨・滑稽新聞」赤瀬川原平・吉野孝雄 編:筑摩書房 復刻版(全6冊)別冊「繪葉書世界」
●「過激にして愛嬌あり」吉野孝雄 筑摩書房 ●「外骨という人がいた!」赤瀬川原平:筑摩書房
「戦争のグラフィズム」多川精一著/平凡社
この迫力ある写真は70年前のプロパガンダ誌「FRONT」だ。前にNHKで見た時に正直に凄いと思った。フォトショプ
や超広角レンズなんて無い時代に手作業でモンタージュし、エアブラシでレタッチをする。デザイナー(図案家)の原広、
写真家の木村伊兵衛など東方社の人々が制作したものだ。当時、ソ連のプロパガンダやドイツのR・リューヘンシュタール
の「意思の勝利」「民族の祭典」「美の祭典」は勿論見ていただろう。アメリカのLIFE誌を意識していたのかも知れぬ。
対外的に日本の国威や軍事力を誇示する狙いから、費用も潤沢に与えられ、大胆なレイアウト、紙質、印刷など戦前におけ
る最高の技術レベルを駆使し、クオリティも極めて高い。本物を一度見てみたいと思っている。国会図書館にあるだろうか。
この97式(チハ車)戦車の写真はどうだ。見開きページのレイアウトテクニックで一枚の写真のように見せ、遠景は合成
したとあるが異様な迫力である(前に確か雑誌「丸」で見たことがある)。実物のA3版で見てみたいものだ。
落下傘部隊の写真も合成で手前の人物を大きくし、ディープフォーカスの映画的手法だ。いま見てもその力量と自信が伝わ
ってくるようだ。私もデザイナーの端くれである以上、偉そうに言えないのだが、さて、現在の広告を見ると劣化している
と感じる。新聞も雑誌もTVも日本映画も、映像で息を飲むようなものがあるだろうか? 残念ながらわが国の現状は「媚び」
のデザインに満ちあふれている(アメリカの雑誌には凄い映像とレイアウトを多く見る事ができる。やはり発想、美意識、イ
ンテリジェンス、効果など…。悔しいことだね)。これもWebやPC、デジカメの普及で何でもお手軽になったせいだろうか。
※これを戦後、戦争協力だとか反省が無いなどと批判する輩が多いが(…文化人面して言う人がいるね)、時代も空気も環境も
違う。あなたはその時代に、徴兵拒否ができただろうか?また自分の祖国を恥じただろうか?野球だってサッカーだって贔屓
チームや地元を応援するじゃないか。情報がほとんど無い戦時中、私ならその時代の空気に染まっていたと思う。
…私もデザイナーという仕事は批判精神を忘れてはいけないと、常々自分に言い聞かしてはいるが…。
「戦争のグラフィズム」から写真を使用させていただきました。
TIMEの表紙が好きだ。映像だけで理解できるのだ。こんな発想はどこから湧いてくるのか? アメリカという多民族国家の文化なん
だろう。そして広告産業が磨いた心理学的表現だ。あのエスクアイヤーの表紙を飾ったジョージ・ロイスたちが作り上げて来た伝統
だ。黒いフライパンで目玉焼き、黄身が地球、タイトルは「地球温暖化」。棺桶に一本の木、「森林の死」。地球をロープで縛り上
げ、「地球の危機」。発想が違うんだ。映像が心に直接的に入るんだ。そのためアートディレクターたちが必死にアイディアを求め
ている姿が眼に浮かぶようだ。
昔、「奥様は魔女」というTVドラマがあったね。旦那が広告会社のプランナーなんだ。イーゼルに大きなスケッチを描いて悩んでい
るシーンがあったね。隣の頭の白い社長が無理難題。「何を召し上がる?」「ぼくはスコッチ・オンザ・ロック、つまみはスモーク
サーモンがいいな」。魔法をかけると、スコットランド人がキルトを履いて岩に立ちバグパイプを吹いている。つまみは大きな鮭が
デーんとしてパイプをくわえている…。
ユーモアの質が違うんだね。そうそうモンティパイソンでは「嵐が丘」を手旗信号でやっていた。「アイシテイルワ・ヒースクリフ」
なんて。辛辣な皮肉、メタファー、ユーモア、インテリジェンス。デザインとは人の心に対してデザインすること。そうなんだ!
…そしてわが国の週刊誌は…。
わが師、繁治照男氏。はじめて会ったのは、ぼくがまだ学生服を着ていたころだ。彼の作品を見て驚いたね。どうすればこんな考え
や発想が浮かぶのだろう…。とにかく新鮮だった。他とは全然違った。カッコいいのである。そのころ繁治氏は「NEW JAPAN」の
宣伝に勤めていた。彼はサウナの概念を変えた男だ。それまで何となく如何わしいイメージがあったサウナを健康的で明るくしたの
だ。「健康な人をより健康に」と。マクルーハンが流行ったとき「マクルーハン理論を実践しよう!」これがなんとキャバレーの案
内状だよ。他にも「割烹日本」「メンズジャパン」など数々の革新的なデザインをし、そして独立した。「日本ブレーン・センター」
NBCだ。ぼくはメンズウェア会社で企画・デザインをしていたので、彼のサブとしてディレクションをする機会が多かった。徹夜で
作品を仕上げて持っていったら、「あかんわ!やり直してこい」だ。また徹夜して見せたら「うーん、待っとり」、目の前で全部は
がしてしまう。指先があっという間にレイアウトしてしまう。ああ、2日も苦労して徹夜したのに。いつしか全体が見えるようになり、
そんな技も自然にできるようになった。ぼくたちの会議はいつもバーだった。「こんどのカタログ、どんなテーマや?」「50年代の
ボールドルックで行こうかと」「そやな!表紙はイラストで行こ、おまえ描けや」それで終わり。ぼくの頭の中にはイメージができ
ていたから直ぐに見せた。「ええやんか!」。「次何やね?」「ハードボイルで行こうかと」「アイディアあるか?」酒を飲みなが
ら会話が続く。「探偵事務所のドア越しに狙ったら?どうでしょう」「「オモロいなそれ行こ」。早速業者にドアを発注、シルクス
クリーンで I Don’t Sleepなんて…。「おい、次は宝物の争奪戦のテーマで行こや、何がええ」「そうですねー、マルタの鷹みたいに」
「OK! 鷹どうするねん」「作ります」早速、東急ハンズに紙粘土を買いにいった。夜中にふとん乾燥機を回し庭で金色のスプレーを
した。翌日の撮影ではまだネバネバしていたネ。
彼には酒の飲み方も教わった。北、南、神戸、チェーンスモーカーで酒は底なし。とても追いていけない。二人で南からタクシーで
帰ってくると芦屋の辺で夜が明けることが何度もあった。今はもう退職したが月に一度は、缶ビールを持ってぼくのオフィスに来て
くれる。早速灰皿、二人で面白い話やデザインについて話す。しかし、頭は電光石火に冴えている。「最近見るべき広告なんてない
な!」「ほんとですねー。新聞も雑誌もTVも劣化していますね」「ジョージ・ロイスが先生やったからなー。あれ忘れたらあかんで。
デザインはエンターテインメントなんや」。彼は昔からアカデミックなデザインが嫌いだ。「この人間という生臭い生き物、人間が対
象や、ワシらの仕事は」「開高健ですね。人間らしくやりたいな、これですよ」「そーや、人間なんやからナ」…。
鳥は美しい。飛行のために進化という永劫の時間をかけてデザインされたからだ。ジュラルミンでできた鳥も美しい。航空評論家の
佐貫亦男さんは「ヒコーキ」や「道具」のデザインにこだわった方で、その発想法や視点は非常に鋭い。特にレシプロ機の美しさを
愛した方だ。美の基準は様々でユンカースJu52など3発、波板外版、無骨な脚など古めかしいが独特の機能美がある。タンテ(おば
さん)の愛称もその信頼性からきたのだろう。レシプロ機には独特の魅力があり、その美しさには感動さえ憶える。空力的に計算す
れば同じ形になるはずなのに、それぞれ非常に個性的である。それは設計者の意図、すなわち確固としたコンセプトとデザイン性と
いえる。
1.「零戦21型」エース・坂井三郎氏いわく「スピンナーは鼻、両翼端は両手の中指、尾翼は足、零戦は私の身体だ。この感覚は設計
者にも分かりますまい」と語っている。この無類の操縦性は設計者・堀越二郎氏の剛性低下式操縦索、これこそ一番の特徴だと。
無骨なグラマンF4Fと較べると零戦は優美でしなやかな美人の感がある。
2.「グラマンF8Fベアキャット」零戦並の機体にP&W R2800ダブルワスプ2,100馬力を搭載。ギリギリまで贅肉を削った引き締まっ
た精悍さがある。同時期に日本海軍はF6F並みの「烈風」を試作した。仮に戦力化できハ43が期待どうりの馬力を出したとして、
果たしてF8Fに勝てただろうか?
3.「キ77・A-26」流麗な形はどうだ。長距離飛行を狙ったアスペクト比の高い長大な翼、ドーサルフィンが垂直尾翼に続くラインが
実に美しい。満州で周回記録飛行を行い、非公認ながら16,435kmを記録している。2号機はシンガポールからドイツを目指したがど
こに消えたのだろう。
4.「J7W1・震電」鶴野正敬少佐は従来型の限界性能を大幅に上回る革新的な戦闘機を狙った。前翼型(エンテ)、後退翼、推進式の
プロペラのユニークなデザイン。同時代の各国の前翼機と較べてはるかに近代的だ。
5.「FW190」フォッケウルフ社のクルト・タンク技師は速いだけが取り柄のサラブレッドではなく「ディーンストプフェーアト・騎
兵の馬」をコンセプトとして開発を進めた。直線的な簡素なライン、徹底した生産性、整備性、合理性。猪武者にも似たそこにデザ
インを強く感じる。
6.「キ46・一〇〇式司令部偵察機」特に3型/4型の究極なまでに洗練された流麗さ、段なし風防の細身の機体形状、美しさは性能にも
繋がる。高速性と優秀な上昇限度、長大な航続距離。排気タービンを装備した2機の4型が、北京から福生まで平均時速700km強とい
う快記録。その流れを汲むキ83も素晴らしい美しさだ。戦後米軍機用のハイオクタンガソリンを使用し、最大速度762km/hを記録し
たという。
7.「P51H・マスタング」D 型をより洗練させればこうなった。剽悍であって流麗、バランスのとれた悍馬だ。究極のレシプロ機である。
8.「ハインケルHe219・ウーフー」ドイツの夜間戦闘機。一見空冷に見えるがDB603液冷エンジンを装備、前部に集中したコックピッ
ト、腹部のMG151、背にはシュレーゲムジーク(喧しい音楽)の斜銃、新しいコンセプトによるデザインだ。奇怪に見えて美しい。
9.「ジービー・レーサー」この寸詰まり空飛ぶビア樽。R-1は1932 年に開催された「トンプソントロフィーレース」優勝機。パイロッ
トは後の東京初空襲のジミー・ドゥーリットル。大馬力のエンジンで機体を強引に引っ張る設計。異様に太い胴体、スピードという
単一目的のためにこうなった。不細工だが美しい。
10.「ダグラスDC-3」初飛行は1935年、現在まで使われている無類の実用性。軍でも使われC-47スカイトレーン、英軍ではダコタとい
う愛称。日本やソ連でもライセンス生産された。この優れた基本デザインによる抜群の信頼性、特別美人ではないが長年連れ添った
古女房のようだ。楕円翼のスピットファイア、モスキート、P-47サンダーボルトM、あの不細工なF4UコルセアもFAU-4になってス
ッキリ美人になった。「二式大艇」、キ76四式重爆「飛竜」、リパブリックXF-12レインボウなど機能とデザインの美しさは格別だ。

映画はイベントだった。ビデオもDVDも無い時代だから映画を見に行くということは特別の日であるわけだ。デートは喫茶店か映画
が定番だったネ、ご同輩。シネコンと違い、23 × 12mもある凹面に湾曲した巨大スクリーンに我を忘れて魅入ったものだ。「2001年
宇宙の旅」2001年なんて遠い未来だと感じていたが、何とまあ、とっくに通り過ぎてしまったネ。特にお気に入りはヒッチコックだ
った。「めまい」「北北西に進路を取れ」「鳥」そして、あの「サイコ」。お洒落なんだ。お上品なんだ。楽しませることを熟知し
ているんだ。映画はエンターテインメントだ!とほくそ笑んでいるんだね。そして何と言ってもソール・バスのタイトルバック。
もちろん、あのダダダダダーン!「黄金の腕」「オーシャンと11人の仲間」いまならFlashやAfter effectで簡単(カンタンでもないか)
に作れるけれど、PCなんて影も形もない当時だよ。余談だが「めまい」ネ。あれコンピュータを使ったなんてほとんどの人が孫引き
しているが、あれはフォト・ペンジュラムだと思うよ。暗い部屋にペンライトを吊るして回転さす。その軌跡をシャッターを解放させ
て撮すんだ。僕もやったことあるモン。そして、そしてだよ。「ウエストサイド・ストーリー」プロローグも素敵だし、終わりの落書
きまでもがデザインされている心憎さ。他にもいっぱい、いっぱいね…、
ソール・バス先生。あの暗闇の中で期待に胸を弾ませ、息を詰めて見つめた世界。…映画が先生だった。

イラストレーションが好きだ。学生時代、ベン・シャーンが好きでわざわざ竹ペンを削ってずいぶん真似したもんだ。
ある日、Men’s Wear(ファッション誌というより業界誌だね)。そこで眼を見開いたよ。まさに瞠目というやつだ。
CHAMP HATという帽子の広告のイラストレーションが、何とまあ!色彩、ダイナミズム、表現、テクニック、新鮮、
驚きが迫ってきた。ボブ・ピーク氏だ。それからメンズウェアやエスクワイア誌を探した。PURITANのゴルフウェア
の広告、夢中で集めた。….でも、当時洋書なんて売っていなかったしお金もなかった。彼はそれから映画のポスター
を描き始めた。「マイ・フェアレデイ」「キャメロット」「スタートレック」「スターウォーズ」どれもこれも素晴
らしかった。
そしてスポーツイラストレーテッド誌ではウォルト・スピッツミラー、もちろん大御所のリロイ・ネイマンも忘れる
ことができない。小松崎茂の戦争画、山川惣治の少年王者にも昂ったけれど、生頼範義の描く飛行機や軍艦の戦争画
にはドラマ性と異様な迫力がある。その奥にあるドラマと緊迫感、悲劇性があるんだ。CG全盛の時代だがCGは何か薄
っぺらいんだ。どうしても機械では手から伝わる思い入れや力が入らないんだね。描く人の想像力と筆力、感性、そし
て人間性。だってイラストレーションは人が見るものだから…。
デザイン学校に通っていた頃、課題がLPジャケットのデザインだった。われ御幼少の生意気盛り、18歳だった。
数年前からモダンジャズの洗礼を受け、金もないのにハマっていたのですね。そうだ、!ホレス・シルバーをフェスティバルホール
で聞いた頃だ。JAZZしかあるまい。プレイヤーは誰がいいか?そうだクリス・コナーを聞いたばかりだ。MJOもいい、マイルスも
ローチもいい…。早速、水張り(木枠にケント紙を張り水で濡らす。乾けばパンパンになるんだ)、烏口(鳥の嘴に似た製図器に墨
汁やポスターカラーを入れて線を引く道具)だ。面相筆(細部を描く時に使う細い筆)、後は溝尺(尺に溝があって、それに沿わし
てガラス棒と筆、お箸みたいに使う)道具はこれだけローテクそのもの。文字さえ手で描くレタリング(いまはフォントと言うね)。
当然としてMACやパソコンはSFにも登場していなかった。涙ぐましいと言うよりイジらしいじゃありませんか(お恥ずかしい…)。
40年の時は過ぎそれらは何処にいったやら? かろうじて2枚が手元に残る。我が青春の思い出、「少年老い易く学成り難し、一寸
の光陰軽んずべからず…」。軽んじたんだろうナ。いまだに…。御照覧頂きお笑いください。

初めてジャズライブを聞いたのが「アート・ブレイキーとジャズメッセンジャーズ」だった。それまで音楽なんてあまり興味が無
かった。というより聞く機会がなかったのだ。TVでいろんな音楽は見ていたし、P・アンカやプレスリー、ビートルズなんかも知
っていたけどれど、何かしっくりこないものがあった。もっと心にガーンと迫る音楽が欲しかったんだ(若い頃はクラシックって
退屈だもんネ)。高校生1年生だった。級友が「モダンジャズ行けへんか?アート・ブレイキーや」「芸術壊し屋ってなんや?」
「とにかく行こ!」大阪フェスティバルホール2階奥、400円だった。凄い!世の中にこんな音楽があったのか!ドラムが皮膚に突
き刺さり、ベースは腸(ガッツ)を振動させ、テナーは心臓を揉み、トランペットは耳朶を揺がす。そして、ピアノは血管を駆け
巡るのだ。アドレナリンが高まり、恍惚状態になった。凄い!凄い!これがモダンジャズか!「モーニン ウイズ ヘイゼル」ヘ
イゼル・スコットとともに呻く…。それからジャズ喫茶通いが始まった。場所は南の「バンビ」。当時LPレコードの輸入盤は2000
円以上もしたし、アルバイトは日給400円だった。それでも無理をして1枚づつ買っていった。
中身よりジャケットに魅せられていたのかも知れぬ。ブルーノート、特にJ・マクリーンが好きだった。あの引きつったようなアル
トソロ。ミンガスのピテカントロプスも聞いていたし、M・デヴィスやK・ドーハムとのセッションも知っていた。でも「Let free-
dom ring」には参ったね。中身も最高だしジャケットのデザインが…。それがリード・マイルスのデザインなんだ。「いままでと
まったく違う!これが、私たちの求めていたものだ!」ブルーノート・レコードの創始者、A・ライオンはこんな感嘆の言葉をリ
ード・マイルスに贈ったそうだ。思い出すままにジャケット・デザインでカッコ良かったものを揚げれば、H・シルバーの「ブロ
ーイン・ブルース・アウェイ」、M・ローチ「WE INSIST」、B・エヴァンス「アンダーカレント」L・モーガン「SIDEWINDER」
S・ロリンズ「Plus 4」「ヴィレッジバンガード」「橋」、MJQ「ヨーロピアン・コンサート」、M・デヴィス「ヴィチェズブリュ
ー」…。ああ、切りがない…。あのワクワクドキドキしながら買ったジャケット。いまはもうCDになりi POdになりYou Tubeだもん
ね。夢があまりにも即物的だね。「真夏の夜のジャズ」を撮ったバート・スターンの映像、数多くのジャズ写真の名手たち。そして
ミスター・リード・マイルス。みんなみんな先生だった。
デザインという言葉を知ったのは何時頃だったのだろう。それまでは図案と言っていた。
インダストリアル・デザインの草分けレイモンド・ローウィがデザインした煙草ピースのモダンさと、そのデザイン料に子供心に
驚いたものだ。そういえば進駐軍が吹かしていたラッキーストライクも彼のデザインだ。デザインなど皆無の世界に育った者とし
て、街の古本屋で見かける、リーダーズダイジェスト、ライフ、ポスト、マッコール、セブンティーン、などの洋雑誌に輝くイラ
スト、写真、広告はきらびやかで豪奢で、夢とモノと豊かさに溢れていた。ダッグウッドが夜中にサンドウィッチをパクつき、毎
朝ボウタイを締めバスを追いかける。映画では冷蔵庫がありシャワーがあり、ポンティアックやスチュードベーカーとジャズが流
れていた。いつしか図案?を学ぶようになり、古本屋漁りを始めた。その中でも一際輝いていたのが大判雑誌「エスクワイアー」
だ。そのカッコ良さといったら、もう! 発想が根本的に違うんだ。映像が全てを理解さすんだ。
皮肉とユーモアとウィット。デザインとはこのことなんだ!と眼から鱗だったね。
女性が泡を顔に塗りたくってヒゲを剃っている。「アメリカ女性の男性化」だって…。アンディ・ウォホールがキャンベルの缶に
溺れている。J・F・ケネディ、R・ケネディ、M・L・キング牧師の三人が墓地に立っている…。またカシアス・クレイ(モハメッ
ド・アリ)の身体に矢が刺さっている。聖セバスチャンの殉教だね(三島由紀夫もやっていたネ)。…徴兵を拒否したアリは殉教
者だと。インテリジェンスが違うんだ。大胆なんだ。大人のデザインなんだ。このアートディレクターは誰なんだ? それがジョ
ージ・ロイスだ。彼の名を長く忘れていたのだが、トミー・ヒルフィガーがデビューした時のエスクワイアー誌の広告。
これが何とも…。見開き6ページなんだが、最初の見開きはネイビーブルーにブルックスブラザーズのロゴ、Biforだって。次はグレ
イピンクにラルフ・ローレンのロゴ、そして、トミーのマークでAfter…。正直憎たらしいと思ったよ。
時は過ぎ2007年に見つけたね。ICONIC AMERIKAアメリカの象徴という写真集。ぺージを開けば、眼鏡をかけて3D映画魅入る観
客のあの有名な写真、隣のページはハート型サングラスのロリータ。全ページこんな展開。聖と俗、古いと新しい、これがアメリ
カ文化だ!ダイナミックで繊細で、ジョークとユーモアとシニカルな眼。ジョージ・ロイス健在なり!だ。一見、無造作に思える
レイアウト。ところが計算されつさくれているんだ。そして直感に訴える。心憎いとはこのことだね。偉大なる怪人、奇才、天才。
どこかの文化人面しているデザイナーとは大違いだね。ジョージ・ロイス先生ありがとう。