Archive for the ‘TOYBOX’ Category
飛行機乗りのヴィーナス。そう、主に第二次大戦のアメリカ軍用機に描かれた美神たちだ。殺し合いの道具にピンナップガールや様々
なアイコンを描いたのをノーズアート・Nose Artという。いかにもアメリカ人らしい発想でエスクアイア誌なんかの折り込みページの
アルバート・バーガスやピーター・ドライベンが描いたセクシーなバーガス・ガールの絵をみて、ちょいと絵心のあるやつが、そいじ
ゃオイラが描いてやろうと故郷の恋人や女優を機体の愛称にしたのだ。もちろんA-I、A-2やB-3ボマージャックにもド派手なのを描いて
いる。その下手さ加減が何ともいいんだ。わが帝国陸海軍は「かしこくも陛下よりお預かりした…..」で、とてもそんなものは描けなか
ったけれど、しかし末期には勇気を鼓舞するために稲妻や矢印、虎の絵なんかを描いている。
古くは第一次大戦のレッド・バロンことリヒトフォーヘンの真っ赤に塗られたフォッカーDr1やギンヌメールのコウノトリが始まりだ
ろう。日本では加藤隼戦闘隊で有名な胸に描きし赤鷲の…か。そしてフライングタイガースの機首に描かれたシャークマウス、これは
ヴェトナム戦争のF4ファントム、現代ではゴツい地上攻撃機A-10まで続いている。
まあ、殺戮道具に陽気な絵を描く神経は日本人の考えとは相当に隔たりがある。アメリカのエスクアイア誌の初号(1934年)から戦前
戦後のバックナンバーの殆ど見た事があるのだが、あの30〜40年代にその贅沢さ、ファッションのカッコ良さといったら…、華麗なる
ギャッビーを彷彿させるのだ。戦前に豪華な車、冷蔵庫、テレビ、ゴルフ、テニス、イブニングパーティ、カクテル….。
フェローズの描くファッション・ページを見ただけで「ああ、こんな国ととても戦争なんてできゃしない」と思ってしまう。当時の日
本人のホンの一部を除いてエスクアイア誌なんて知らなかったし(20年代からのモボモガ新青年も30年代になると戦時色に塗りつぶさ
れていく)、たとえ見たとしても「アメリカは贅沢に慣れ怠惰である。色情に溺れ困難に打ち勝つことができない弱兵である…」。
硬直したこんな科白を本当に吐いていたのだから、その世界観たるや。だからB29のノーズアートを見ても、戦争に真面目さが足らん!
と怒ったのじゃないだろうか。いまじゃもう、アメリカでSUSIなんか食ってる連中ね、SUSIはヘルシーでオシャレでインテリジェンス
があるなどと宣う。またN.Y.の街や地下鉄は一頃、落書きだらけで恐ろしく汚かった。それもアートだとさ。隔世の感がありますね。
「ボックスアート」、そう、プラモデルの箱絵でぜひともに描きたいものがあった。ノースアメリカンP51マスタング、野生の悍馬
というより鍛え抜かれたサラブレッドである。特にバブルキャノピーに変えた決定版ともいえるD型以後、その流麗でバランスの取
れたシルエットはWWⅡの最高傑作機と呼ばれるに相応しい。まさに機体の美しと洗練の極みのデザインである。高速度、運動性、
長大な後続力、B17をエスコートしてドイツ深部にまで侵攻し、太平洋ではB29を護衛して長駆、硫黄島から飛来、空戦して帰るの
だから大したものである。日本軍はその無塗装の銀色に輝く機体と五月蝿さから「銀バエ」と揶揄したという。この「銀バエ」は
ただ者ではなかった。層流翼の採用、高高度性能に優れたパッカード・マーリン・エンジン、胴体後方下部に置いた冷却器、ちなみ
にキ61三式戦「飛燕」も同じ位置に付けているが、その整形や乱流を避けるインテークなどP51が遥に洗練されている。また中国前
線で鹵獲したP-51Cに搭乗した陸軍航空隊の黒江保彦によると(彼はビルマ前線でP51Bと戦っている)P-51を駆って、仮想敵機とし
て日本各地で模擬空中戦を行った。「味方が自信を喪失しないため手加減した」と語っている。「速度は計器通り700km以上は出る
し、急降下速度も優れている。運動性も良い。これに乗ったらどんな敵機だって勝てる」と。そして末期には見越し射撃角がいらな
いジャイロ付K14照準器を備え飛躍的に撃墜率が上がったという。カタログデータではキ-84「疾風」が戦後アメリカ製プラグとハイ
オクタン燃料で689KMを出した云々と贔屓をしたいところだが、粗製濫造による稼働率の悪さ、燃料、潤滑油、活用方法、あの末期
的状況では到底勝ち目はない。
そしてP-51Hは新型のV-1656-9エンジンを積み、自動スーパーチャージャ制御を備え、水メタノール噴射によって最大出力は2,000
HP (1,490 kW)に達した。機体軽量化・出力の増加・ラジエーター形状や機体のリファイン、P-51Hは高度7,600 m (25,000 ft)で784
km/h (487 mph)に達した。当時世界一速いレシプロ戦闘機となった。「Fw Ta152H-1」や「J7W1-震電」と比較したいところだが、
時代はもうジェット機の時代になりつつあった。
ボックスアートというと何故か第二次大戦機になる。まだ操縦者の腕や人間が制御する機械としての魅力があるのだ。殺伐とした戦
争にロマンも何もあったものではないが、飛行服やマフラーに大空の騎士を見てしまうのだろうか。
航空機の設計には空気力学上、合理的でスマートな形状になるはずなのに、そこには設計者のコンセプトやデザイン性、美意識と
いったものが現れている。ここに登場するのは短躯、寸詰まり、太っちょのユニークな機体たちだ。それを醜いと感じるか美しいと
見えるかは見るものの感性だろう。まず、空飛ぶビア樽、ジービー・レーサーだ。1932 年の「トンプソン・トロフィー・レース」に
出場したグランビル兄弟の設計だ。当時の大馬力のエンジン、ワスプを搭載し、強引に引っ張る設計思想で異形の姿となった。
異様に太い胴体、短主翼、垂直尾翼なんて付け足しみたいだ。そのR-1は東京初空襲で有名なジミー・ドゥーリットルが操縦し優勝。
飛行性能はスピードのみ、恐ろしく不安定だったそうだ。だが473.82km/hの陸上機世界速度記録も樹立した。ユーモラスにも感じる
飛行ぶりは強烈な印象があり何か心に残るのだ。R-2レプリカ機の飛行ぶりはYoutubeで見る事ができる。
これも相当短躯な猪武者である。ジービーの影響があるのではないか?旧ソ連のポリカルポフI-16(И-16 イー・シヂスャート)は、
ソヴィエト連邦・ポリカルポフ設計局開発の戦闘機だ。スペイン内戦から第二次大戦初期にかけて労農赤軍の主力戦闘機だった。
世界最初の引き込み脚、カウリング・シャッター、短排気管、防弾、重武装、時代に先駆けた革新機構だ。配備当時世界最速を誇った
が各国の高性能の機体が現れ陳腐化していった。1939年のノモンハンでは我が97式戦と対決、初期には抜群の運動性を持つ97式戦に
格闘戦に持ち込まれ惨敗したが、後半には一撃離脱戦に徹し日本空軍に苦戦を強いたという。
お次はブリュースターF2Aバッファロー、アメリカ海軍戦闘機だ。これも空飛ぶビア樽と呼ばれた。英国に輸出されメッサーシュミット
Bf109と対決したが歯が立たず、極東の日本軍相手なら勝つだろうとマレーやシンガポールに配備されたが、1式戦「隼」や海軍の
「零戦」には手もなく捻られた。映画「加藤隼線戦闘隊」には鹵獲したバッファローと隼の実写空中戦シーンがある。
また黒江保彦がシンガポールで2式戦「鍾馗」の圧倒的な性能差でバッファローに勝利する様が活き活きと描かれている手記もある。
この愛嬌さえ感じられる肥満系の猛禽たち。どうも日本人の繊細な神経ではとてもデザインできない太い線がある。その「太っちょ」
の形態故、ボックスアートの絵になるだろうナ、と長年思い続けてきた。….スリムな美人も素敵だけれど、丸ぽちゃで豊満過ぎの彼女
も魅力的だね。
今でもプラモデルで人気の双璧は「零戦」と「大和」だろう。戦後65年も過ぎたというのに本屋のミリタリーコーナーには大量の
「零戦」の写真集、図版、解説本がある。もう語り尽くしたとも思えるのに続々と新刊がでるのだから好きな人が多いのですね。
やはりアメリカ的な強引とも思える設計思想より、日本という持てざる国だった象徴、その栄光と悲劇の生涯が人気を呼ぶのだろう。
僕もかって人後に落ちない時代があった。中学生の頃「大空のサムライ」坂井三郎空戦記録に感動したのだ。ラジオで「海軍零戦隊」
という朗読もあったし、坂井三郎がTVで血染めの飛行帽を前にガダルカナルからラバウルまでの苦闘を語る番組も見た記憶がある。
「零戦」…重慶上空の完全勝利から真珠湾、ソロモン、そして落日、最後は特攻機として飛び立った悲劇性に性能や形態を超えたド
ラマを見る。僕も本物はNZオークランド博物館の22型、ロンドンのワーミュージアム、靖国の遊就館、国立博物館、昔、地方デパー
トの屋上で巡回展示を見た事もある。精悍というより薄いジュラルミンが弱々しく、よくもまあこれで過酷な空中戦が出来たものだ
と妙な感動を憶えたことがある。設計者堀越 二郎のコンセプトが優れていたからだろう。たった1000馬力で、その長大な航続距離、
重武装、優れた格闘性能、連合国の戦闘機に対し圧倒的な勝利を収めた。連合国パイロットから「ゼロファイター」の名で恐れられ
たという。 しかし所詮は貧乏国日本の技術の粋も、2000馬力という倍のエンジン出力を持ったF6FやF4Uの大群には勝てなかった。
アメリカで見た事があるがヘルキャットもコルセアも何しろゴツい、重量級ボクサーだ。軽量零戦を力と数でねじ伏せてしまう思想
だ。そして見るからに流麗な悍馬P51Dマスタング、横綱級巨体P47サンダーボルト、最後はレシプロの極限F8Fベアキャット……。
もう新しい時代に入っていたのだ。その「零戦」の最後の姿を描いてみたかった。
描くに当たって機体を何にするかで迷った。世の中にはトンでもないオタクがいて簡単に間違いを追求するから写真などで厚木の
302空としたが、いや52型、いや甲だ乙だと言われると全く自信がない。
「ボックスアート・Box Art」、プラモデルの箱に描かれた絵である。それがとてつもなく勇ましくてカッコいいのである。
何時の日にか俺も描いてやろうと決心して半世紀が経ってしまった。最初は「少年」なんかの雑誌の巻頭見開きに描かれた小松崎茂の
戦争画だった。真珠湾奇襲の絵なんて今でも眼前にありありと浮かぶ。97式艦攻が海面すれすれに魚雷を放ち、戦艦ウェストバージニ
アやテネシーに炸裂する巨大な水柱、轟音と機銃音が聞こえてきそうだった。模型を作りたくって木を削ってソリッドモデルを真剣に
作ったものだ。そしてアメリカからプラモデルが登場した。レベルやモノグラム製のパッケージの素晴らしいことといったら!P51マ
スタングが唸り、スピットファイアが蒼空を駆けるのだ。高くて買えないけれど店頭で見惚れましたね。日本でもプラモデル時代にな
りタミヤ模型が小松崎茂に頼んだそうだ。「先生、是非」「わかった、ぼくが会社を救ってあげよう」それが「パンター戦車」だった。
そう、プラモデルはパッケージの箱絵で売れるのだ。そのアートが決めてなのだ。完成した喜びへ誘うのだ。作りたいッ!と。
その点小松崎茂にはドラマがあるのだ。飛行機や軍艦が生きているのだ。僕も彼のボックスアートに魅せられて幾つも買った。一番の
印象は艦上偵察機「彩雲」だ。「我に追いつく敵機なし」その電文が聞こえてきそうだった…..。彼は「戦艦大和」がライフワークだっ
という。火を噴くヘルダイバー、爆発するアベンジャー、奮戦する大和。だが、今見るとポスターカラーで描かれたそれはどぎつく妙
に明るいのだ。大和の悲劇性や慟哭が感じられないのだ。そうこうするうちにペーパーバックの表紙絵に生頼範義が現れた。泰西名画
を憶わせる暗く粗いタッチの背景、短縮法を取り入れた異常に圧縮された軍艦、悲劇性のドラマの幕開けだ。まるで「橋の上のホラテ
ィウス」なのだ。…..早く橋を落としてくれ、私は仲間とともにここで敵を食い止める。さあ、私の横に立ち橋を守るのは誰だ?…….
カラヴァジョが太平洋戦争を描けばこうなる。そんな気さえしてくる。ああ、僕にはとてもそんな絵は描けないし時間もない。
だけれど描いてみたい。できればキャンバスに油で、いやアクリルカラーでもいい。ドラマを呑んだ存在感ある軍艦や飛行機を…。
やっと半世紀ぶりに描いてみた。それも大部分はPCというキャンバスで。でも描く過程は普通の絵と同じ。マウスという筆でタッチを
利かせてサッサッさと。やはり平筆や面相筆で息を凝らして塗る方が楽な気もするが、手が汚れないし筆を洗う必要も無い。その点は
イージーだけれど、マ、いいか。黒鉄の威容、聳える艟艨、鋼鉄の夢、そんなのが少しは描けたかしら。
弾丸よりも早く、力は機関車よりも強く、高いビルディングもひとっ飛び。彼は1938年に生まれた。彼はスーパーヒーローのアダム
である。彼がいなければ後の世界も随分と変わっていただろう。’88年にはTIME誌が「スパーマンお誕生日おめでとう」のイッシュー
を組んだ。さて、ここに登場するのは3歳の頃からスーパーヒーローに憧れ、描き続けて来た画家アレックス・ロスだ。こんな本を見
つけると嬉しくなって見境もなくいっぱい買い込んでしまう。おかげで重いバッグを引きずり超過料金を取られるところだった。
ページを捲るごとにデッサン、コンテ、ドラマ、エナジーが飛び出してくるのだ。「カッコいいー!」その画力に圧倒され、ダイナミ
ズムに参ってしまうのだ。画家は技術、制作過程、その全てを曝け出している。「こうやって描いているんだよ。…真似できるならや
ってみな!」と。….本物のプロフェッショナルだ。世に言う芸術などという青ざめた抽象論なんか糞食らえだ。
リキテンシュタインやウォホールが超高価で取引されるのを見ると芸術って何だ?…..確かにポップアートという概念を打ち立てたこと
は凄いと思う。でも正直にぼくには分からない。街中至る所にある愚劣な彫刻やオブジェと称するもの。あれ高いんだろーなー。下ら
ねーなー。奇妙なポーズをした裸のブロンズ女性がいっぱいいるね。あれってセクハラじゃないの?また巨大なウンコにしか見えないも
のが芸術だってサ。それよりCPUの微細な基盤や世界同時に繋がっているネットの複雑さ、カミオカンデやスペースシャトルの打ち上げ
を見る方が、世の芸術なぞとホザクものより、比べるべくもなく圧倒的に美しく人間の叡智を見るけどね。….閑話休題、彼のアトリエの
写真を見ると、何と!マダム・タッソー蝋人形のスーパーマンがいるではないか!うーん、こまでやるか!
アレックス・ロス、非常なる非凡なる偉大なる才人である。
●「MYTHOLOGY」ALEX ROSS pantheon Books. New York 2003
〜大密林にとどろくは少年王者の叫び声、黒いひとみにバラのほほ、翠の髪をなびかせて天にそびえる大木を、
枝から枝へと飛びまわる、少年王者の勇ましさ〜
始めてこの少年に会ったのは、ぼくがこの少年より小さかった頃だ。興奮したなー、血湧き肉踊り眠れなかった。でもみどりの
髪というのは理解できなかった。真吾、すい子、アメンホテップ、魔人ウーラが入り交じり万能薬「緑の石・マキムリン」を求め
て大活劇。もちろん歌詞は憶えているが歌えない。メロディーなんて知る由も無かった時代だ。
そして「少年ケニヤ」だ。友達ん家の産経新聞を毎日見せてもらっていた。ワタル、ケート、老ゼガ、巨像ナンター、大蛇ダーナ。
恐竜は出てくるわ、タンガニーカ湖を泳いでわたるは、巨獣との格闘、原住民との戦い、特に克明なペン画による躍動する動物の
迫力、酔いしれた…。毒々しいと思えるほどの表紙だった単行本を何冊か持っていたのだが、時は過ぎ復刻版が出たので迷わず買
ってしまった。やはり記憶にある猛獣のデッサンが素晴らしい。でも、山川惣治先生はケニヤに行ったのは相当の高齢になってか
ら初めてアフリカの大地を踏んだのだそうだ。連載の頃にアフリカなんて遠い夢でしかなかった。想像力だけで描いたのだ。
まあ、お手本としてエドガー・ライス・バローズのターザンがあった。映画ではジョニー・ワイズミューラーがアーアーアー!
コミックではバーン・ホガースが最高だ。….ぼくたちも木の上に家を作ったり、ロープを垂らしてジャンプ、池に飛び込んだり、
弓や槍を作ったり少年ケニヤみたいな時代だった。残念ながらあんなカッコいいナイフではなくて「肥後の守」だったけれど…。
そうそう、リヴィングストン探検記も忘れてはいけないね。スタンリーとの邂逅の感動的場面なんて。
この凄い絵を見てくれ!「砂漠の魔王」だ。いまは昔「少年」「少年クラブ」「譚海」「冒険王」などの少年雑誌に心をときめかした。
漫画や工作模型がいっぱい付録にがついていてね。その中でも冒険王の「砂漠の魔王」には仰天した。そのカッコ良さなんてもう!
当時の漫画の概念と全然違うんだ。冒険、探検、怪奇、神秘、神話、怪獣、新兵器、奇想天外、荒唐無稽、縦横無尽、リアリズム、
エキゾチシズム、極彩色、新鮮、苛烈…。敗戦の廃墟のなかから忽然と魔王が現れたのだ。
腹を空かせた少年にとって空想の世界こそ輝いていたからね。描いたのは福島鉄次先生だ。いまならアメリカン・コミック影響だと言え
るのだが、まだ劇画という言葉も生まれていなかった時代に、こんな凄いデッサン力を持った人がいたのだ。ため息が出ますね。
それから小松崎茂の西部の少年シリーズ、山川惣治の少年王者と続いて行く。ああ、リンゴ箱に一杯こんな本を貯めていたのにどこかへ
消えてしまった。本当に惜しい事をしたものだ….。今見ても昂りますね。
デコイ。この奇妙な響きは何だ? 狩猟に使う囮のことだ。鴨が仲間がいると思って降りてくる。そこを狙うのだ。狡いやり方だね。
僕は猟なんてやらないが、置物としてのデコイに凄く魅力を感じた。海外のスポーツ店に置いてあるのが本当に欲しかったね。
電気スタンド、小物入れ、ハンガー、風見など野鳥のモチーフがいっぱいあるんだ。笑っちまうのもあった。
大きな帽子みたいにデコイを頭に被り鴨を騙そうとするのなんか、その姿を想像するだけで滑稽感が伴う。
そして、1970~80年代に日本にアウトドア・ブームが巻き起こった。ウィルダネス、ワイルドなんて言葉が流行り、
LL BeanやEddie Bauer、Red wingに憧れたもんだ。それと一緒にデコイも輸入されたり自作のキットなんかもあった。
どうせならヨシ!作ってやろうじゃないの!バルサなら簡単なのだが近所で改築工事をしていたので柱の切れ端をもらって来た。
ノコギリ、鉋、鑿、彫刻刀、サンドペーパー…。形はできた。しかし問題がある。目玉はどうするんだ?アクリル板を熱で曲げたが
小さな凸レンズが作れない。そうだ!知り合いに剥製師がいた。いそいそと出かけたら、なんだ、ガラス玉の半球をくれた。
「いいかい、エナメルを一滴垂らして眼の色は小さな布を入れるんだ」。「ふーん、ナルホド」。
ペイントが楽しいんだね。最初はカナダグース、これは太り過ぎだ。次はダック。まあ、こんなもんダロ。次はグースの飛び立つ
スタイルだ。だんだん構想が膨らみ、それが大きくなり過ぎて止めてしまった。いまも玄関の隅に転がっている。


