1968年はSF映画の当たり年だった。「2001年宇宙の旅・2001:A Space Odyssey」と「猿の惑星・Planet of the Apes」だった。

もちろん2001はアーサー・C・クラークとキューブリックによるハードSFだ。だから両者を比べる訳にはいかないのだが、同じよう

に猿人と猿が出てくるから、そのメークアップが面白い。「猿の惑星」はフランス人のピエール・ブール原作で、彼は「戦場に架け

る橋」の原作者でもあるのだ。彼は仏領インドシナで現地人を使役していたが、第二次世界大戦中、ヴィシー政権軍によって捕らえ

られ日本軍の捕虜となった。この捕虜経験が、後の「猿の惑星」繋がったのではないか?まあ、早い話「猿」は日本人やアジア人で

ある。黄禍論が底にあるのだろう。「カナシマ博士の月の庭園」というのも読んだ記憶がある。 月に一番乗りを目指す米ソに先駆け

て、日本人の博士が片道燃料で特攻着陸をやってしまうのだ。そして月で腹切りするという、まあ戦争中の日本人を見れば無理も無

い話なんだが、あんまりいい気はしないね。 
映画の方は人間社会への辛辣な風刺をこめた作品で、最後のシーンなんて強烈なショッ

クだった(数えたことはないが自由の女神は何回壊されたのだろう。知っているだけでも…..)。 人と猿との「立場の逆転」がヒトと

いう種の傲慢さを考えさせるのだ。…ほら、お隣の国にGDPが負けたとかで憤慨したり、またそのお隣の国を侮蔑する輩も多いじゃあ

りませんか。戦争のニュースの無い日はないし、世界中で他者を憎悪したり、奴隷にしたり、収奪したり、恫喝したり、殺したり、鬼

畜米英だのイエローモンキーだの、相手が不信のあまり原水爆で人類そのものを絶滅させる道具を未だに大量に持っているじゃないか。

少なくとも人間以外にそんなことをする動物はいないのだから。

….猿の惑星….あんまりヒットしたものだから続々と続編が作られた。正直、落胆しかありませんでしたね。最初の新鮮なアイディア

が 通俗となった作品は堕落でしかないのだ(エイリアンの斬新さもプレデターと共演するようになればお終いだ)。…..コーネリアス

なんて名前が懐かしいですね。 2001年宇宙の旅はシネラマの大画面で見たのだが、これぞSF! 未だに古びない至高のSFである。

正統派でぐんぐん押してくるスケール、宇宙船の概念を変えた形態、クラシック音楽がまるでこの映画の ために作曲されたかと思う

くらい合わさっていた。…..そうそう、この映画を星新一さんと筒井康隆さんが見て、「退屈だったーなー」「画面の一部 にCMを流

せばいいのに」なんてことを読んだことがある。僕は少年だったがイヤな気分になりましたね。お二人ともSF作家だから対抗意識を

燃やしたのか! イヤイヤ、アイディア、映像の斬新さとアメリカの巨大パワーに圧倒されたのだろう。だからケチをつける位が関の

山だったのだ。だって星新一さんが加わった映画「マタンゴ」(原作W.ホジスン「闇からの声」)あれもSFですか?…悲しいですね。 

また永ちゃんが「ローリングストーンズ」が来日したときこう言っていた。「オレ負けてねーよ。負けてないね」。そりゃ結構だけど

ストーンズは世界が舞台だけれど永ちゃんは日本だけだしね。誰の眼で見たって…..。まるで旧日本帝国みたいだ。….物量に負けたな

んていう負け惜しみと同じだ。アレッ、悪口になっちゃった。お許しを。

2012年/元旦

本年もよろしくお願いいたします。

Ken Production

吉本研作

あっちに当たり、こっちに衝突し、

世の中をゴロゴロ転げ回り、そんなもんですかネ、人生は….。

創造主は人間があまりにも愚かな行為を繰り返すので再びノアの洪水を起そうとした。しかし人間も少しは良い事ことをしてきたので、

何かを残そうとした。その中にバッハの「マタイ受難曲」は必ず入るだろう。こんな意のエッセイを読んだことがあります。

確かに「マタイ受難曲」は人類が作り上げた至宝といえます。300百年近い時を経ていまそれを聴く事ができ感動を憶えるのは何と素晴

らしいことでしょう。峻厳で悲しみに満ちた前奏コラール、1727年4月、セント・トーマス教会で始めて演奏されたとき、老婦人が感極

まって「神はここにおわしまする!」と叫んだという逸話を読んだこともあります。また、神は死んだ!と宣言したニーチェも「マタイ

受難曲」を聴いたときキリスト教の真意はここにありしか!といったとか….。3時間を超える大作ですが、その一曲々を深く味わうと

き、思わず「慈愛」という限りない優しさに包まれる自分を発見します。バッハの壮大な音楽宇宙、バッハの全てがここにあります。

でも不思議なことです。音楽という捕えどころのない空中に消えて行く空気の振動を、楽譜という記号・情報によって表し、何百年の時

を経ても再現できる….。もちろん当時とは社会背景も人々の心情も楽器も演奏も違うでしょう。しかしバッハが創造した音楽の大伽藍に

身を置くとき、この魂ともいえるものに触れる感動と歓びが込み上がります。もしわたしがロビンソン・クルーソーのように遠島になっ

たとして「1枚のレコードを持っていっていい」。と言われたら、迷わずに「マタイ受難曲」を持っていくでしょう。

そしてカール・リヒター盤でしょう。トン・コープマン、小沢征爾、ドレスデン十字架合唱団、グスタフ・レオンハルト….様々な名演奏

を聴く事ができますが、なぜかリヒターの熱い演奏に引かれます。…..終曲にいたり夕暮れに包まれて激情を通り越し、泣きはらした後の

清浄なカタルシスまで、崇高な「音楽美」に強かに打たれます。

わたしはキリスト教信者でもないしむしろ無神論者ですが、人類遺産として宇宙空間に音楽の電磁波が光速度で広がる幻想を感じてしま

います。そう最初にラジオでTVで放送された「マタイ受難曲」はもうどこまで宇宙に広がっているのでしょう。ラジオが80年前とすると

おとめ座70番星、はくちょう座17番星、しし座のアルギエバまで届いているのだろうか? そして銀河の果までも…..。

 

クリスマスが間近である。全国津々浦々でべトーヴェンの第九合唱が行われていることだろう。そしてヘンデルの「メサイア」も…。

そんなことを思いながら本棚を整理していたらこんなプログラムが出て来た。カトリック玉造教会「大阪カテドラル聖マリア大聖堂」

落成記念コンサートだ(1963年)だ。沿革によると1894年、この地に聖アグネス聖堂が建てられ、玉造教会が誕生。戦災によって焼

失したが、その後、仮聖堂を経て、ザビエル来日400年記念の年に建設された聖フランシスコ・ザビエル聖堂に引き継がれ、「聖マリ

ア大聖堂」へと生まれ変わった。大聖堂の西北には、細川越中守の屋敷跡と伝えられている「越中井」が残されており、細川ガラシア

夫人を記念して辞世の句碑が建っている。散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」…..聖堂正面には「栄光の聖母

マリア」と左右には「細川ガラシア夫人」「高山右近」が描かれている。日本画家堂本印象の筆によるものである。

大聖堂のパイプオルガンは、2400本ものパイプを有する本格的なものだ。

コンサートは本岡栄三郎によるブクステフーデやバッハがあり、第二部朝比奈隆史指揮、大阪フィルハーモニック・オーケストラ、

パイプオルガン、ジャン・メルオーでヘンデルのオラトリオ「メサイア」であった。日本で最初に公演されたのはいつか知らないが、

おそらくパイプオルガンやフルオーケストラで全曲を演じたのはここが始めてではないだろうか。僕はまだ生意気少年でヘンデルや

オラトリオなんてちっとも知らないくせに聞きにいったのだ(イヤなガキですね)。そしてあの有名な第二部の終曲「ハレルヤ」

Hallelujah! For the Lord God omnipotent reigneth Hallelujah! Hallelujah! Hallelujah! Hallelujah!

ハレルヤ!全能の神が君臨しますように、ハレルヤ!

これは1743年、国王ジョージ2世の前で「メサイア」が初めて演奏された。そのあまりの素晴らしさに感動したジョージ2世が立ち上

がって拍手を送り、観衆もつられて立ち上がり拍手を送った….。それ以来ハレルヤコーラスになると全員が立ち上がりスタンディング

・オベーションを贈るのが倣いになったという。…僕は先に解説本なんか読んでいたから恥ずかしいのを堪えて立ち上がった。

隣の方や多くの聴衆が、あれ?何で立つの?妙な雰囲気でしたね。

時は過ぎ、バロックの二大巨匠ヘンデルとバッハを聴き比べてみるのだが、ヘンデルは公開演奏会用だから派手で豪華絢爛の趣き

が強いが、バッハは純粋な教会礼拝用だから内面的、哲学的である。….というか作曲者の性格も出るのだろう。ある意味では受難

曲の方がドラマチックであるとも言えるが….。

そんな壮大な音楽もいいが個人の楽しみとして室内楽の方が親しみを持てる。ヘンデルのフルートソナタ11曲、いつか全曲を…と

思っていたのだが半分位で挫折した(今でも気持ちだけはあるのだよ)。これを一曲づつおさらいしていくのは楽しみである。

特にⅣとⅪが好きですね。バッハのフルートソナタと比べると以外と吹きやすく楽しめるのです。

 

苦いというか、一抹の羞恥心(電車の中じゃ広げられない)さえ感じる本を読んだ。それなら最初から読まなければいいじゃないか!

と問われるが、そのタイトルの大袈裟さと科学を装った、いかにも科学啓蒙書か研究書の装いが手にさせたのだ。序文を読みながら

ヤバいナと感じたのだが、いったいどんな人物が書いているのか著者の思考と人間性を追求したくなり読み上げた。最初からヤオイや

コンノケンイチ、あのアダムスキーなら笑い飛ばしトンデモ本としてシュールさを楽しめるのだが、なまじ教授様がマジ?に数百ペー

ジの大著となる「苦みを伴った痛み」すらあるのだ。「見えない世界を科学する」著者:岸根 卓郎/出版社:彩流社

アッ、これ60〜70年代に流行ったニューエイジじゃないか!ところが2011年出版である。まず「波動」なる言葉が出現する。トンで

も系、危ない系、カルト系、スピリチャル系が好む言葉である。この言葉だけで胡散臭いのである。お笑いなのである。この「波動」

はハイゼンベルグの不確定性論やシュレディンガーの波動関数とは全然関係がない。彼らにとって便利な言葉で不可思議は全て波動な

のだ。また「ゆえに」とか「要するに」という言葉が頻繁に登場するが全く論証がないのである。例えば物理学の次元である三次元+

時間=四次元と言いながら、三次元=過去・現在・未来、四次元はあちらの世界である死の世界である!そのミンコフスキー空間風の

図式さえある。アインシュタインの相対性理論や量子力学の解釈問題を言葉だけ頂いて勝手に使っているだけである。「右脳・左脳」

「コペンハーゲン解釈」「パラダイム」….F・カプラやR・シェルドレイクの形態形成場仮説の孫引きを多用し、著者は真剣に論じてい

る積もりなのだろうか?この程度の知力、科学理解力で科学を語れるのだろうか?本当に名誉教授なのだろうか?まあ、船井幸雄の

「100匹目の猿」(これも怪しげ学者ライアル・ワトソンからの孫引き)や自称科学ジャーナリストの喰代栄一のトンでも世界と同じで

ある。そして後半は支離滅裂でなんでもありである。ハイポニカ農業や出ました「ホメオパシー」類型そのものである。「人類究極の

謎」を最先端科学の量子論や形態共鳴論によって解き明かす。と大見得を切るが、そこには暗澹たる無知と思い込みの論理?たわごとの

洪水である。彼らは一元論による東洋哲学や宗教との共有を主張するが、それは形而上学的な心の問題であり道徳や倫理、人生の教えで

あり、科学とは一切関係がないはずだ。

 物理学者ジュレミー・バーンスタインは、量子力学は、けっして禅哲学にはなりえない。光子は、けっして人間の意識の動きを表示

することはできない。相対性理論は、倫理学の相対主義とはなんの関係もない。と述べている。

「ダーウィニズム150年の偽装
」唯物論文化の崩壊と進行するID(インテリジェント・デザイン)科学革命 渡辺 久義/原田正・著

/アートヴィレッジ  こちらの方は結構真面目でダーウィニズムの矛盾点や解釈に異論を唱えているのだが、著者たちの根底にある

思想?思い込みから科学的客観性に色がついてしまうのだ。おなじみのニュートン、デカルト以来の還元主義、二元論批判から「宇宙

の意思」「人間原理」最後には「絶対存在」「神?」に行き着くのだ。……何かおかしい?なぜだ?….なーんだ、この本の背景は統一

教会だったのだ。(私の偏見なんだろうが、どうもね)

そうなると正反対の有名な唯物論者リチャード・ドーキンスに登場してもらわなければバランスがとれない。「利己的な遺伝子」「盲目

の時計職人」「虹の解体」「悪魔に仕える牧師」「神は妄想である」進化の存在証明」と過激ダーウィニストここにありだ。

今は亡きカール・セイガンによる「科学と悪霊」、彼は最後の著書として疑似科学に堕ちいる人間の迷妄さに警告を発しながら逝った。

私も人生を迷ってばかりなのだが理知的に生きたいものだ。

まあ、イワシの頭も信心からと「おまじない」も「迷信」も「ゲンをかつぐ」「血液型」「都市伝説」「陰謀論」も酒の上の楽しみ程度

なら罪がなくて楽しいのだが….。

 

古い話だが裕次郎の大ファンの友達にいて「嵐を呼ぶ男」を見に行こうと誘われた。田舎町の映画館に中学生が二人して出かけた訳だ。

ぼくはひねくれ者だから友達のようにとてもスゲエ!なんて思えないし、ドラム合戦の最中に痛めた手がスティックを落とす。と、マ

イクを引き寄せ歌い始めるんだ。〜オイラはドラマー〜ヤクザなドラマー〜そうしたら観客が熱狂して、白木マリだったかしらリズム

に乗せて踊り始めるのだ。バンドも調子に乗って盛り立てる….。と、こういう訳だ。ぼくはそのころスィングなんて言葉もジャズもブ

ルースの真の意味も知らなかったけれど(まあ、〜何とかブルースという歌謡曲なら知っていたけどね)。子どもながら正直照れまし

たね。おいおいそれジャズじゃねーだろ。だって歌に全然ビートないし、いくら芝居だといってもあの歌で興奮するわけ無いじゃん。

あの当時は時代背景としてジャズが流行っていたんですね。ロカビリーなんてのも大流行りだった。進駐軍とそのキャンプで日本人も

ジャズを演奏したり憶えたりしたりで、後に彼らがビッグネームに育ったのだ。

高校生になりジャズの洗礼を受け本格的に聞き始めた。アート・ブレイキー、ホレス・シルバー、MJQなどのコンサートに無理して通

った訳よ。輸入LPなんて手が出ないからジャズ喫茶(ミナミのバンビが多かった)に入り浸りになったりしてね。そこでブルースとは

何ぞやとかインプロバイゼーションとか、ソゥルとかハードバップなんて言葉も憶えていった。

確か1964年だったと思う。4大ドラマーの血戦「ドラムバトル」がやって来たのだ。マックス・ローチ、ロイ・ヘインズ、フィリー・

ジョー・ジョーンズ、シェリー・マン。そしてチャリー・マリアーノ、秋吉敏子、リロイ・ヴィネガートという錚々たる顔ぶれだ。

端正で毅然としたローチ、奔放なフィリー・ジョー、危なげないヘインズ、そしてマンのクールなブラシワーク……。

2回目のドラムバトルはアート・ブレイキー、トニー・ウイリアムス、エルビン・ジョーンズ、ケニー・クラーク?(ここの記憶が曖昧

なのだ、確かケニー・クラークだったと思うのだがプログラムを無くしてしまった。誰か教えてください)。

まあ、音楽の歓び、感性、興奮なんて到底言葉では表現できないものだから、当時無理して買った彼らのLPレコードをご紹介しよう。

●ローチとソニー・ロリンズには名盤が多過ぎるのだが「Worktime」、この「It’s All Right With Me」なんて!豪放で超スピードのフォ

ーバースの掛け合い。これを聞くだけで嬉しくなってしまう。そしてクリフォード・ブラウンとのセッション。ブラウニーが本当によく

歌い〜ああ、なんて素敵なんだ!….ドラムは本来リズム隊なのであんまり出しゃばると面白くない。長いドラムソロは聴き辛いね。

●フィリー・ジョーはサイドメンとして数々の名盤に登場している。マイルスとの一連のレコード、どれもこれも最高の出来だ。そして

有名すぎるソニー・クラーク、J・マクリーンとの「Cool Struttin’ 」”気取り歩き”というその名の通りジャケットも新鮮であった。

●シェリー・マンはウェストコーストの白人でありハードバップの泥臭さや暑苦しさは少ないけれど、その軽い乗りが素晴らしいんだ。

「Manne Hole」の「朝日のごとく爽やかに」なんてコンテ・カンドリーのトランペットが歌いリッチー・カミューカのテナー、一杯

飲りながらいつまでも聞いていたくなりますね。●ロイ・ヘインズは何でもこなす名手なんだが、ローランド・カークとのレコードなん

て!カークのアーシーで、アブストラクトで激しい演奏は迫力満点だ。このフルートを聞いてみてよ!そして「We Three」このトリオ

演奏は歌うようなドラミング、多彩なテクニック。息の合った三人の緊張感が心地いい。

もうジャズを聴かなくなって30年も経つ。何故かッて?ジャズとは演奏者にこそ意味がありその個性と技能、表現なんだ。そしてその時

を切り開く全く新しいサウンドにこそ意味があるのだ。彼らが歳を取り情熱が薄れ自己模倣の繰り返しになれば、それはもうモダンジ

ャズじゃない。懐メロだ。名手たちが去り次代の若者たちも革新を失った。それはジャズというスタイルの音楽であり軽音楽の一派でし

かない。もっと過激であれ!いままで聴いたことのないサウンドを聴かせてくれ!あの時代にはあんなに熱く激しくあったじゃないか!

コートの季節である。さてコートにも色々あるがダッフルコートとは不思議なものである。厚手のウールでフード付、止めは奇妙な

トッグルと呼ばれる漁網の浮きである。ループは麻縄とくれば当然として漁師の防寒着だ。初めて見たのは「第三の男」でトレヴァ

ー・ハワード扮する少佐であった。ベレとダッフルコート、いかにも英国の将校らしく映画を引き立てていた。その次は「ナヴァロ

ンの要塞」だ。終わりのシーンで任務を果たしたD・ニーヴェンとG・ペックが駆逐艦艦上で着ているのだ。

あのコートは何なのだ。いつも疑問に思っていたのだが、あのVAN JACKETが発売したのだ。うーん、これか!とネイビー色を愛用

していたのだがどうも雰囲気が違う。本物が欲しいルーツが知りたい…。ダッフルという言葉は毛織物の町オランダのデュフェルと

知った。その頑丈な素材を漁師が着たことからこのコートが生まれたとも分かった。いつしか時が過ぎロンドンの古着屋で見つけた。

とてつもなくヘビーで無骨なものだった。色はキャメルのみ。問いただしてみると第二次大戦時の英国海軍のユニフォームだった。

それが戦後余剰物資となって民間に流れたものだ。なるほど、やっと納得がいった。そして厳寒のシェットランドへ着ていった。

吠え狂う海、ブリザード、さすがはノースランドの知恵だと最初はダッフルコートを楽しんでいたのだが、雪は染み込むは、重いは、

冷たいは、で、こりゃナイロンやポリエスターの方が優れているナと思い知った。…だがダッフルコートには歴史とドラマが染み込

んでいるのだ。あの冒険活劇小説の白眉、アリステア・マクリーンの「女王陛下のユリシーズ号」。そのヴァレリー艦長や勇士達を

思い起こすではないか!これは対ソ連援助物資を、凍てつき吹き荒ぶ北海をムルマンスクまで運ぶ輸送船団と男の闘いなのだが、下

敷きはPQ18コンボイの悲劇だ。Uボートの群狼作戦、ユンカース爆撃機の襲撃、戦艦ティルピッツの出動と極寒の闘いに手に汗握る

展開だ。冒険小説の最高と讃える人も多い。「ナヴァロンの要塞」もマクリーンが原作だ。

そしてエルアラメインの戦いで有名なモントゴメリー将軍がダンケルク撤退時に漁師から贈られ、彼のトレードマークとなり「モン

ティの古マント」と呼ばれた云々…。こういう話を聞くと嬉しくなってしまう。

…かってDunMastersという会社でダッフルコートを作ることになった。もちろんノウハウはたくさん仕入れてあるから「モノ」その

ものの高い完成度を作る自信はある。しかし後発の我々が市場で勝負できるのか?値段だって特別高いし….。英国のG社や国産でも

多くのメーカーが競っているしね。…….そこで無い知恵を絞った。そうだダッフルバッグに詰め込み、それらしいドラマをタグで語

ろう。ちょうどカーキの防水生地が余っているしベルトだって。そしてステンシルでそれらしき内容をバッグにプリントした。いか

にもヘヴィーデューティだぞ!と。………一瞬で売り切りれましたね。つまり男物のファッションとは「男にだけ解る」楽しみの提供

なのですね。

 

 

世界の強豪、名手たちが今年も九州宮崎で熱戦を繰り広げる「ダンロップ・フェニックス・トーナメント」。1974年第一回大会から数え

て今年はもう38回目だ。ジョニー・ミラー、ヒューバート・グリーン、セベ・バルステロス、トム・ワトソン……そして帝王ジャック・

ニクラウス。あのメジャーたちを眼前に見て感動したものだ。

でも僕の思い出はプロたちの熱戦もさることながらトーナメントの記念品やスーベニールのショップ作りだ。…..1974年第1回大会から

商品企画などで若造ながら加わった(歳がバレますね)。何しろ日本で始めての本格的インターナショナル・ツアーだ。企画ではプロ

アマ参加の面々、スポンサー、選手、役員の全員が揃いのタータンチェックのブレザーを着用。そのレセプションは壮観でしたよ。

ショップも当時は前例が無い以上参考にするものなんて皆無だから海外のゴルフ雑誌やトーナメントを必死に盗みましたね。ショップ

は大阪で仮組し、宮崎まで運び徹夜で作りあげた。それが第3回大会で77年だったと記憶する。よく売れましたね。数十万円もするシー

プスキン・コートまで売れたのだ。いい時代だったのですね。そして時代も変わり2004年からまた関わるようになった。….まあ僕のゴ

ルフの腕はダッファーそのものでプレイもしなくなったが、ゴルフの世界を知るようになり歴史や数々のエピソードはいまも興味が尽

きる事もない。….少し腹立たしいのは、ホラ、あれですよ、ゴルフウェアね。あんな奇妙な服ってちょっと町中じゃ着れないですね。

だからトラディショナルで品性あるウエアを目指して企画してきたのだが時代の潮流には逆らえませんでしたね。下の写真は1974年の

第一回大会のVIP用のキャシミアセーターだ。そして77年のスーベニールたち。懐かしい思い出の品だ。

これはカニッツアの錯視の別バージョンだ。中央になぜか三角錐のピラミッドが見える。

主観的輪郭と言うのだそうだ。1955年にイタリアの心理学者ガエタノ・カニッツァにより発表された。

全体を見るように眼を凝らせば消えるが、また現れる。

頭の中で勝手にイメージを作ってしまうんですね。